本気と躊躇いの司法試験ブログ

本気と躊躇いの子育て•司法試験•仕事

2児の父の30代サラリーマンが司法試験合格を目指す

自分は何と闘っているのか、自分は何から逃げているのか、自分は何を求めているのか

やばい、手につかない。

今日は寝かしつけせずに仕事しよう。そう思ってた。なのに、手がつかない。また、心臓がドキドキしてしまった。

心療内科調べたり、うつ病の経験がある弁護士っているかなって調べたり(今現在うつ病の元弁護士しか出てこなかった。。。)、そして、いま、外に出た。

昨日もわりと早く寝たし、いつもだったらまだまだ全然眠くないのに、眠くなってきてるし。

 

いつもの散歩コースをとぼとぼ歩く。

心は晴れない。

 

自分は何と闘っているのだろうか。

自分は何から逃げているのだろうか。

自分は何を求めているのだろうか。

 

今の仕事が、根本的に合っていないんじゃないかって。たぶん、人間関係ってのも大きいけど、合ってないことをこれまで誤魔化してきていたのが、表面化したのかなって。

でも、だからって急に辞めたりできるものでもなくて。

異動もなかなか実現しなくて。

その間にも仕事はどんどん増えて、進んで。

 

中途半端な夏休み(毎日少し仕事してた)と、夏休み明け前の夜中の対応で、一気に心が疲れてしまった気がする。

そして、子育てとの両立の難しさ。

 

育児休暇を取れば良かったって思った。

なんと言われようと取る、と。

そうしたらさすがに、完全に一度離れられる。

育児休暇を手段にするようだけど、でも、育児は簡単じゃない。核家族にとっては特に。

 

このブログ、本当に身近な人が読んだら、特定できるんだろうな。でも、読まないか。バズったりしない限り。

1年もしたら、身近な人ですら、時系列は曖昧になるからわからなくなるだろうし。

 

自分は、何と闘っているのだろうか。

自分は、何から逃げているのだろうか。

自分は、何を求めているのだろうか。

 

長期的には瞑想とかランニングとかで強さを身につけるべきだけれど、忽ちは、自分を苦しめるおばけから、開放されないといけない。

 

なぜ、こんなに弱ってしまったのか。。。

 

おばけなんてないさ。

おばけなんて嘘さ。

だけどちょっとだけどちょっとぼくだって怖いな。

 

間違った真面目さに、自分は学生時代から苦しんできた。

少し気になってた女の子友達に、○○くんはきれい過ぎるから、話してると自分の汚いところが見えてしまう。そう言われた。

中途半端に透明で、嫉妬にまみれた誇りを抱いて、弱々しい自信と共に生きてきた。

いつだって他者を投影して自分を確かめては、優越感と劣等感を同時に覚えた。

社会人になっても、変わらなかった。

自信を失いながら、生きてきた。

けれど高校生の時に、生きる意味なんてない、言葉は相手に届かない、だからこそ語り、つながりに意味を見出すしかない、そう絶望してみていたちっぼけな哲学者は、孤高になることもできなかった。

物理学を学び、生物学を学び、システムの世界に入った。あまりに社会から隔絶していると感じた学者の世界は、その不安定な生活基盤も相まって、入ろうと思えなかった。もっと直接的に社会と関わりたかった。

でも、心根は、沈思黙考を愛していて、家庭を持って、いよいよ読書も勉強もできなくなり、仕事にばかり忙殺される日々に、疑問を抱く日々が何年と続いた。

転職を考えた。職務経歴書を書いたし、エージェントとも会った。でも、転職は、踏み出さなかった。結局、何を求めているのかが曖昧で、志望動機が、なかった。妻にも、まともな理由を話せなかった。

そして、司法試験に出会った。

サラリーマンは、組織の中で、与えられた目標に対して、いかに人を動かすことに長けるのか、マネジメントこそがアガりだ。

でも、弁護士であれば、生涯現役で、プロフェッショナルとして、自分自身で働き方や目標を設計して、強弱つけながら仕事ができるんじゃないかって思った。法律も、学ぶと面白かった。青臭くとも、社会正義をまじめに語れる。経済的に困窮することもなく。それはこの上なく、魅力的だと思った。

コロナの影響もあって、家族と夕方一緒に過ごす日が増えて、第二子も生まれて、なおのこと、今の働き方が受け入れられなくなった。産後の妻に無理もさせたくなかった。それもあり、保育園お迎えで帰るようになった。けど、全然終わらない日々で、当然そうなるだろうという結果だけれど、苦しんでいる。

ただ終わらないだけでなく、手につかない時が多くなって、職場でふとした時に動悸がして、明らかに苦手に感じる人もいて、ホウレンソウに時間がかかったりして。できないことを誰かに放り投げることもできず抱え、それが更に自分を苦しめている。

何かあれば自分を責める。責めても、世の中は、自分は、そんなに変わってはくれない。

 

人生を振り返って、何か、わかったか?

 

この文を打ちながら、よくわからないところまで歩いてきてしまった。

 

口に出して、読んでみた。

昔から、こうやって文章を書くことが好きだったな。mixiやってたころから、よく、小説まがいの文章を書いていた。

 

自分は何と闘っているのだろうか。

自分は何から逃げているのだろうか。

自分は何を求めているのだろうか。

つまり、何に怯えているのか。

 

どこにも、敵はいないのに。

自分の中で、自分の自尊心に危害を加える敵をつくりあげてる。

自分の中ばかり、見ている。

他者を自分の目を通して自分に投影して、敵に仕立てあげてる。

今の職場がまっとうだとは思わない。

でも、だからといって、淡々と異動か転職の準備を進めれば良いだけで、自分を傷つけるのは間違ってる。明確に間違ってる。

自分の中の監視者は、何を咎めているのか?

本当のおれはこんなんじゃない、というギャップ。歪んだ誇り。そのギャップを、受け入れられないんだ。

同僚に、家族に、本当はこんなに辛いんだ、うまくいかないんだ、うまくやりたいんだけど、できないんだ。そういう弱さを、曝け出したくなくて、強がって、敵をつくりあげてる。ごめんなさい、助けてって言えなくなってる。

司法試験受けたいって思ってる、だけど今はこんなにいっぱいいっぱいで勉強できない。勉強始めたら始めたで、家族に負担かけることになるけど、どうしても今の仕事を続けたくなくて、人生と向き合いたくて、だから助けてって。

そう、言えなくなってる。

弱くて柔らかい部分を見ないで、聞かないで。

私のことを、知らないで。

家族にすら、強がってる。

その強がりが、助けてって言えない恥じらいが、敵なんだと思う。

 

全く、仕事せず、この時間になった。

やばいね。でも、必要な時間だった。

 

明日、もし動悸がしたなら、思い出そう。

何を怯えてるの?

強がる必要はない。助けてって言おうって。

 

助けてが言えない。

それは強さではない。悲しいこと。

 

いま、自分が弱音を吐くとしたら、誰か。

本当の弱音は、やはり、妻だ。

そして、仕事上の弱音は、誰だろうか。管理者や先輩、幹部社員かな。個々の具体的なことは、その関係者。

 

できない理由ではなく、どうすればできるか考えろ、という話もある。

でも、それも含めて、助けて、一緒に考えてってしていくことが大事じゃないか。

人は人と生きるんだから。。。

 

仕事上の目標や反省点はいろいろあるけれど、まずは強がらず、弱さを隠さず、助けてって言うこと。

そうすることで、今の自分が怯え抱えているおばけから開放され、自由になろう。