子育ては仕事に役にたつのか
子育ては仕事に役にたつ
29歳で1人目が生まれたあと、そんな本を読んで、育児と仕事の両立、相乗効果なんかを目指したりしていた。
まぁ、マネジメント力だとか、時間術、だとかそれらしい言葉はあれど、結局、相関は曖昧だし、ましてや因果ではない。
人生トータルで、自分自身が満足しているのか、向上しているのか。それを自己評価するしかないのだと、今は思う。
当時は、必死だったんだろう。
妻の育児日誌を見させてもらうと、上の子が新生児の頃から平気で深夜に帰ってきて、妻との少しの会話をして、また翌日も仕事している。
そんな状況だったからこそ、自分を正当化したくて、また、何かを掴みとりたくて、情報を探していた。
最も忙しい時期でなく、新型コロナの影響で仕事が減っていた時期の出産だったということも、タイミングが良かったのかもしれない。
今は、仕事が忙しくなっても、保育園お迎えのために帰る、というスタンスを崩さずにいる。ちなみに、昨日も妻と長女が寝たあと仕事はしている。でも、そのまま残って仕事してた方が長時間労働してると思うし、その後家で1人晩ご飯を食べて寝る生活と比べたら、幸福度は劇的に違う。
生活するために、稼がないといけない。
それが、働くことの本質ではあるから、ストレスとは無縁ではいられない。
なんで、こんなに仕事ができないんだろうって悩むこともある。自己嫌悪に陥る時もある。
役割分担を、体制を無視して、比較的若くて指示しやすいだけだろ?っていう夜間や休日の対応を指示を受けて、どうしようもなく苛立って自分を抑えられなくなって、深夜に自宅で壁をパンチして、拳に切り傷を作ったこともある。
ちょっと、横道に逸れてしまった。
父は仕事して、家事せず、背中で、週末の遊びで子育てをする。
自分自身も妻も、そんな家庭で育った。
だからこそ、私がそういう生活をしていた時期も、受け入れて、更には感謝してくれていたのだろう。
でも、それってやっぱり近現代になって始まった、社会的かもしれないが、人間的ではない在り方なんじゃないだろうか。
子育ては、何かの手段ではない。
ただ、自分がそうしたいから、幸せになりたいから家族で時間を共にし、苦労も喜びも悲しみも分かち合う。未来への投資ではなく、いまここに生きていることに集中するということなんだと思う。そうして、命はつながれていく。
司法試験の勉強だって、未来への投資と思うと優先順位であれこれ思い悩んだり、成果と比較してやる気がなくなったりするのではないだろうか。
いまここの生命に集中する結果として、学ぶ。
その方が、長続きするのではないだろうか。
今はちょっとモチベーションが下がっているが、いまに集中する感覚を、仕事にも活かしたいものだ。
本気と躊躇いの司法試験ブログと銘打っておきながら、仕事の悩みや子育てのことばかり書いている。
まぁでも、本気と躊躇いというのは、仕事や子育てに通底する姿勢でもあるよね。
ブログは自分のために書き始めたけれど、私の迷いや決断が、誰かに役に立てたらいいな、と感じるようになってきた。
私もよく、悩んだ時に似た境遇だったり、悩みを持つひとのブログを読んで、救われたりしているから。
ブログタイトル、少し変えようかな。
こんなことを、仕事前に書いてる暇があったら、仕事しろって思いますか?
変に迷いを抱えながら仕事しても良い仕事できないから、書いて、吐き出した方がいいと思うんです。
これまでもよくノートに書き出してました。
でも、ブログの方が、自分を客観的に俯瞰するような感覚がある。
殴り書きして感情や吐露するのには向かないけれど、今の自分の立ち位置を、周りの景色を眺めて、次の一歩を考えながら踏み出すには、ブログに書くことがとても役に立つと思います。
Take it easy!
Life goes on!